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印象に残っている同級生の二人目は、川上さんよりももっと近所に住んでいた田中さんでした、と「不可能な人生」のサイトの主は続けていた。とは言っても、田中さん自身についての印象はほとんどなく、夏休みに地域で行われる小学生のドッジボール大会の練習で遠目に見かけたイメージしか私の記憶には浮かんできません。そういう記憶の中の彼女は、水面近くに来たかと思うとまたすぐに潜ってしまうすばしっこい魚のように、一瞬の確かさと同時に小さく隠れやすい特徴を持っているのです。私は恐らく母から、田中さんの父親が自分の妻を刺して捕まったという話を聞いたと思います。家庭や学校、地域内でのこの事件の扱いは、当時の私にははっきりとつかみきれないにもかかわらず、決定的に覆いかぶさる暗いものだということは感じていました。決定的に覆いかぶさるのは、もちろん一人取り残された田中さんの上になのですが、それが延長されて私自身の上にも及ぶような怖さがありました。私は、何度か田中さんの姿と一緒に、その瞬間の彼女の父親と母親の姿も勝手に想像し、自分の中で事件の実在性を得ようとしました。しかし、見たこともない彼女の両親による詳細のよくわからない事件の再現シーンは、型通りの修羅場とはいえ目に浮かぶのに、そのときの田中さんの姿はどうしても想像できませんでした。彼女だけは、遠目で見かけたいつもの彼女としてしか想像したくなかったのかもしれません。みな示し合わせたようにこの事件のことは何も言わないようにしていたと思われるのですが、私だけでなく、この事件を耳にした子どもの大半が、田中さんと自分自身を重ね、これが自分の両親だったら、取り残されたのが自分だったらという仮定が、ほんの少しの誤差のようなズレさえあれば実体となって自分を捉えに来ることもあり得ると、ゾッとしたに違いありません。私には、その事件後の彼女の消息に関する記憶は全くありません。そういう意味で田中さんの存在は、この前原という町のイメージに大きな暗い影を投げかける重要な役割の一端を担ってもいるのです。
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