「不可能な人生」の修復 7 忍者ブログ
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子供の頃の自分を思い出すとき、昔見たような気がする幽霊を思い出すときの感覚に近いのではないかと思います、とは言っても、私は幽霊を見たことはないのですが、と「不可能な人生」というサイトの主は続けていた。それは私が、内面では大人しくなかったものの、外面的には影が薄い子供だったせいだからでしょうか。それとも、遠い昔の記憶というもの全般が、例外的な瞬間を除いて、ぼんやりとした薄靄の向こう側を幽霊たちの住まう世界に見せるからなのでしょうか。仮にそうだとしても、それだけでは幽霊の持つ、手の届かない領分の不可解なイメージは喚起され得ないでしょう。あの頃の私と今の私とは同じだけれど、どこかで一度切れていて、その繋ぎ目も何かがずれてしまっているように思えてなりません。そこからくる不安は、小さな紙魚ほどの寄る辺ない子供の私と、大人になって久しぶりに前原を訪れたときにはすでに失われてしまっていた子供の頃の前原とが本当に存在したのかという、今ではもう存在しないものの存在が、むしろ逆に現在の私のほうこそを幽霊にしている、と私に気づかせもするのです。子供の頃は特に何をするわけでもないのに自分がそのまま自分であり、何もわかっていなくても、あるいはわかっていないからこそ、自分であり得た気がします。他人に何かストレスを覚えることを言われても何も言い返さない、言い返せない、自意識というものは、きっとそういうものでいいはずなのです。それ以上の存在感を得ようとすると、幽霊が発生するのでしょう。幽霊といえば、私が二年生のときに転入した前原小学校では、物置にしまわれている二宮金治郎の銅像が夜中に校庭を走り回る、といううわさがあったことが連想されます。けれども私はその銅像を見たことはなく、それがあるとされる物置がどこを指しているのかすら知りませんでした。それは、不可解な銅像の話ではなく、銅像の幽霊の話だったように思います。この町で印象に残っている同級生が三人いるのですが、三人ともぽつんぽつんと途切れ途切れのピアノの音のように物質的で、何のメロディーも形作らない単独性を帯びて私の記憶にあるのです、と「不可能な人生」というサイトの主は述べていた。そのうちの一人が川上さんです。彼女と親しくなったきっかけはわからないのですが、二人で交換日記をしていたことは覚えています。私が転入してきた小学校二年生から、児童数の増加で分校になり別々の学校に通うようになる前の四年生の間のうち、どれだけの頻度でどれだけの期間続けていたのか定かではありませんが、少なくはない量のオリジナルマンガをお互いに描いていました。オリジナルといっても、互いが飼っているハムスターや文鳥の他、飴玉や枕等、身近でフォルムの単純なものをキャラクター化し、何ページかのストーリーに仕立て上げた他愛のないものだったと思います。リレー形式で作品を繋げていく描き方もしていたようで、どんなに単純なものでも他人が作り出したキャラクターを自分の自由に動かすという、わくわくするようなよそよそしいような不思議な違和感は、今でも私の中に残っています。けれども交換日記にまつわる記憶で最も忘れがたいものが、私が模写した既成のマンガ作品を、川上さんが私自身の作品だと思った事件でした。そのマンガは、確か小田空の「空くんの手紙」のうちの一話だったような気がします。おそらく私は、子供ながらにその話にとても感銘を受け、まるで、自分や世界がこうあってほしいという願望を、最もいい形で表現してくれているように感じたのだと思います。だから、川上さんがこのマンガを褒めてくれたことを自分のこととして受け取ったことが盗作行為だという自覚は、あまりなかったように思います。結局はそれが、私の丸写しであったことが彼女にもわかったのですが、彼女が自分を騙したといって怒ったり、私を責めたりした覚えもありません。オリジナルか否かという問題の前に、何かにはっとすること、何かをいいと思うこと、何かに心を動かされることからくる開け(ひらけ)のようなものの入り口しか、私たちにはわからなかったのかもしれません。川上さんの家は小さな木造の平屋で、プクという名の白い犬を飼っていました。その家の前に鎖に繋がれて座るプクの写真を私はなぜか持っていて、交換日記のマンガにキャラクター化されていたプクというハムスターは、本当は犬だったのか、それともハムスターが死んだ後飼われた犬がその名を引き継いだのか、はっきりわかりません。彼女の父親は個人タクシーの運転手をしており、母親も働いているようで、家に遊びに行ってもいつも彼女がひとりだった印象があります。今となっては私の盗作事件の後のことのように思えてならないのですが、交換日記以外に彼女がノートに描いていたマンガを見せてもらったことがありました。それは彼女が言うには、従姉にいろいろと教えてもらったことを参考にして描いた、エロマンガでした。エロマンガといっても、小児期のリビドーを不器用に表現した、大胆不敵でどこかユーモラスな作品だったと思います。それでも私は、彼女がそういう自分の中身の一端でも他人に見せるという行為ができることに驚きと畏怖の念を抱き、交換日記にあった楽しさがそれには感じられなかったことに戸惑いました。そして彼女が導くまま、布団の積まれた押入れの中に二人でこもり、暗くなっても姿が見えないことを心配した双方の親たちが探している気配がするにもかかわらず、じっとしていました。そのとき彼女は、大人はこういうことをするのだと私の指を舐めまわし、上目づかいにじっとこちらの様子をうかがっているのでした。私は、親の怒りを最小限に抑えたかったのですが、学校での彼女とは違う奇妙な気迫に押され、彼女の許しが出るまでずっとそこから出られないような気がしていました、と「不可能な人生」というサイトの主は告白していた。

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